猫と寝子

第二話
【予感】

猫と私の四方山話 最後までお楽しみ下さい

 高校を卒業してもハナッから大学に進学する気はなかった。高校1年から学校外に活動の場を持っていた私にとって、これ以上勉強を続ける気持ちはみじんもなかったから。
 それなのに不思議と学校だけはまじめに通っていた。小市民的なこの性格がそうさせるのか、高校の3年間で休んだのはたったの2日、無遅刻、無早退。

 卒業後は在学中からやっていた校則違反のバイトをそのまま続けた。
 友人たちとやっていたバンド活動を維持するために、時間的に融通が利く優しいマスターとママさんの小さな珈琲屋さんのカウンターの中が私の職場であった。
 バンドの練習とバイトとたまに入るコンサートや学祭のステージ。1年ほどそんな生活が続いたが、ドラマーはお父さんが亡くなり家業を継ぐ意志を固め、リーダーも実家を手伝わなければならなくなり、なによりも先輩として目標にしてきたバンドが相次いで東京に居を移し大阪に灯の消えたような静けさが訪れると、私自身もバンドに残りたい未練がなくなり、結局抜けることにした。

 私は生活に新しい変化を求め、高校で楽しさを覚えた写真をもっと本格的にやってみることにした。
 専門学校に入ることも考えたが、そのときの私は技術的なことより、毎日の日常の中での写真とも関わりを持ちたくなっていた。
 ある日、3つ先の駅前の小さな写真館の求人を新聞で見つけた。
 募集は男性とあったが、駄目で元々と履歴書を書いてその店に出向いた。
 主は60を越したくらいの老夫婦で、男性を希望してるが、他に応募者がなかったので、とりあえず私の仕事ぶりを見たいと言ってくれた。 店の横手の急な階段の下に主お手製の暗室があった。 そこで私は主の指示通りに何枚か写真を焼いてみせて、その結果雇ってもらえることになった。
 店での仕事は気楽なもので、たまに来る写真の受付:白黒写真は主に工事現場の証拠写真で、それ以外のカラー写真は取りに来るラボに任せる:今のようにカラー現像機械が一般的ではなかった時代の話だ。
 白黒写真の現像&焼き付け、記念撮影の助手、小学校や幼稚園の遠足、運動会の写真係。 子供たちのスナップを撮るのは非常に楽しい一時だった。

 写真屋には2匹の老猫がいた。2匹とも同じような白黒模様で、非常に無愛想だった。 それなのにある日私が写真の修整をするためにいつも主が座っている場所にいると、喉をゴロゴロならしながら私の膝にやってきてくつろいでいった。
 要するにこの2匹の猫が覚えているのはこの主が座る場所であって、そこに座る人間ではないということがそのときわかった。
 そんな生活にもすっかり慣れ季節は冬を迎え、私はその小さな写真館での仕事を非常に気に入っていた。


 その頃我が家には須美子という拾い猫と、須美子が生んだ鈴子という2匹のキジ猫がいた。 須美子は本当に器量よしで、性格も穏やか、自分が猫であるという立場を理解しわきまえている非常に頭の良い猫だった。しかしその娘の鈴子は家族でさえ姿を見ることができないほどの人間嫌いで、いつも本棚の裏に潜む忍者のような生活を送っていた。
 何とか慣らせないものかと色々試したが全てムダだということがわかると、家の中誰も鈴子の存在を無視するようになった。
 鈴子は一度だけ須美子が網戸を破って家出をし、一晩帰らなかった夜の子で、3匹生まれたが、とにかくそうのような性格だったので人に託すのを諦めて我が家に残したのだ。


 12月6日、いつもと変わらぬ朝の風景。母が朝食を作り、一時仕事から退いていた父がいて、小学生の妹と私。私たちが食事をしていても須美子は欲しがることもなく顔を洗い私の横でくつろいでいた。
 母が何かの用事で立ち上がりその須美子の横を通ろうとしたとき、今まで聞いたことのないようなうなり声が須美子の口から漏れた!
 家族みんなが一瞬なにが起こったのかわからず、体が固まってしまった。
 鈴子がそんな方に人に敵対心を見せるのはいつものことだったから誰も驚かないが、まさか須美子が?!
 最初私は母が須美子のしっぽを踏んでしまったのかと思ったが、母と須美子の距離は1メートル以上・・・。
 「須美子、どないしたん。なに怒ってるのん?」
母が須美子に手を伸ばした瞬間、須美子は後ろに2メートルほど跳び下がり、のどの奥から低い警戒のうなり声をあげ始めた。
 体を丸く堅くし全身の毛を逆立てて、威嚇のうなり声をあげる須美子。
 私が膝歩きで須美子にゆっくり近づき
 「どないしたん?なに怒ってるのん?須美子・・・」
優しく声をかけながら手を伸ばす。須美子の体に触れた瞬間、静電気がピシッと走った。その静電気で須美子の緊張が溶けたのか、彼女はいつもの表情に戻り私の手に顔をすり寄せてくる・・。 なにが起こったのかわからないけど、とにかくいつもの須美子だ。
 「おかしいねぇ。なにがあったんやろう?」
母はそれ以上気にするふうでもなく、台所に向かい用事をする。 妹は学校に行く時間だし、私も写真屋に出勤しなければ。
 朝の見慣れた風景の一こま・・・ただ今までに見たことがない須美子の豹変がのどの奥に小さな固まりとなって残った。

 夕方定時に写真屋の仕事を終えて家路につくと母が不思議そうな顔で話した。
 「今日ねぇ。須美子が一日機嫌悪いんよ。私が近づくと怒って、ふいてぇ…。」
 「へぇ〜。どないしたんやろう?」
着替えに部屋にはいると体を堅くした須美子が部屋の暗がりにうずくまっていた。 安心しているときに見せる箱座りではなく、いつでも飛んで逃げられる体勢で…。
 「須美子。おいで」
声の主が私だとわかると、とたんに緊張をといた須美子がすり寄ってくる。 ゴロゴロと私の足にまとわりつき甘える仕草を見せる須美子はいつもと変わりないように思える。
 「変わらへんよ。いつもの須美子やん」
 「ほんまに?」
しかし母が部屋に入ってきたとたん、須美子は警戒信号を発し、部屋の隅に飛び退く。
 「なぁ、変やろう?」
 「ほんまや、なんでやろう?」
 「なんか嫌われるような事したんとちゃう?」
 「なんもしてへんよ。いつも餌やってるのに」
 「おかしな子や。なんでやろなぁ…」
そんな会話と須美子を部屋に残し、夕食を食べ、TVを観、やがて11時頃父も母も妹も布団の中へ。
 その間、いつもなら私たちの周りをうろうろしているはずの須美子は一度も私の部屋から出てこず、私も須美子の事を忘れていた。
 12時前にそろそろ寝ようかとトイレに立った私を母がベッドの中から呼び、喉が渇いたのでホットレモンを作って、と頼んできた。
 めんどくさいなぁ。じぶんでやりぃやぁ。。。とぶつぶつ言いながら私はお湯を沸かし、ホットレモンを作り母の枕元に運んだ。
 「須美子どないしたんやろう…」
母はまだ気にしていたが、態度が変なのは母に対してだけであって、ほかの家族にはいつもと変わらない須美子なので、私はそれほど気にもとめていなかった。
 「猫やもん。なんかわからへん気にいらんことがあったんとちゃう?」
 「あんたは優しい子やなぁ。。。ほんまに」
ホットレモン1杯作っただけで、これだけ感謝されたのは初めてだったので、私の方が照れてしまい、なにもいわず飲み終わったコップを片づけて、私も寝ることにした。

 それが母と交わした最後の会話になった。

 そのころ我が家は6畳の和室に母がベッドで、その下に妹と私が布団を引いて枕を並べて寝ていた。
 12月7日は日曜日で、私も妹も休み。早起きの父が7時半ごろ起き出してこない私たちにしびれをきらし起こしに部屋に入ってきた。父は別の8畳の和室で一人で寝ていたのだ。
  「起きやぁ!朝やでぇ!」
大きな声で遠慮なく私たちを起こし、そして母のところへ行き
 「朝やでぇ、今日は遅いなぁ、具合悪いんか?」と声をかけている。
 母は戦時中の女学校時代にリュウマチ熱を煩い、その後私と妹の間にできた男の子を早産したときに心臓弁膜症の発作を起こし、入退院を繰り返す生活をおくっていた。
 妹を妊娠したときは、命と引き替えになるかもしれない、といわれながらも帝王切開で無事に乗り切った。
 何度か母の肩に手をかけていた父の声の調子が豹変した。
 「なんや、お母さん変やで!ママ!起きやぁ!朝やで!」
休みの朝、いつもなら父に起こされても起きない私がその声で飛び起きた。
  「えっ?なに?どないしたん?」
布団をめくって母の体を揺する父。

「救急車や、まだ身体ぬくい。はようせい!」

 父の声に背中を押されふるえる指で119番を回す。
  自分で自分の声だという気がしない。 電話を終えて、急いで寝ぼけ眼の妹を着替えさせて隣の家の祖父母にも母の急変を知らせる。 父はその間中、母を抱きながら声をかけ、身体をさすっている。
  外に出て救急車の誘導をし、救急隊員が家の中に入ってくる。 部屋には入れず、外から漏れてくる声を聞いていると、救急隊員は母の心音がすでに聞こえないことを父に告げている。
 「そんなあほなぁ・・・つい、7時間ほど前話したんや、ホットレモン飲んで美味しい、いうてた…」
思わずつぶやく。
 父の叫ぶ声が聞こえる。
 「なにごちゃごちゃいうとんや、まだ身体が暖かかいやないか、はよ病院運んでなんとかしてやってくれ!」
 「そやけど、心音は…」
救急隊員の言葉を遮り父は
 「豊中市民病院や、先生もよう知ってはる、はよ連れていかんかい!」
 その父の声に、しかたがないと諦めたのか、母は担架に乗せられて豊中市民病院に向かった。
 「待っとれ」と言い残して父は救急車に同乗していった。
 残された私と妹は手をつないで路上に立ちつくしていた。
 
  その時初めて12月の冷たい風に気がついた。

 自分の部屋に入るといつもの朝と変わらぬ須美子が私の顔を見て大きなあくびをし、身体を前後に伸ばした。
 なにが起きたのか理解できないまま、私は須美子のぬくもりが恋しくて、抱き上げた。 私の腕の中でゴロゴロいいながら、彼女は物憂げに私を見上げ、自分の手を舐め始めた。 私はその場にしゃがみ込み、須美子の顔を眺めながら

 「あんか、もしかしたら知ってたん?ママのこと?」と問いかけてみた。
 須美子は自分の手を洗うことに熱中し返事をしてくれなかったが、私の中では確信に近いものがわき上がっていた。

 最近の母は体調が非常に安定していて、近々お水取りに行くだの、歌舞伎座に行くだのと予定を立て、高島屋の外商で服や靴を新調したばかりだった。
 まだ箱も開けられていない靴は居間に置かれたままで、母は先の予定を立てられるほど元気だったのだ。

 誰一人、もちろん本人すら自分になにが起こったのか気がつかなかったに違いない。
 でも須美子だけは感じ取っていた。
 母に身に起こることを…

 病院の父から電話が入った。
 「おかあさん、あかんかった。先生が色々してくれたんやけど…」
父の電話はそれで切れた。 実感がなく、現実である認識ができず、涙がでてこなかった。 妹に告げる言葉が見つからず、抱きしめるしかできなかった。 しかし9歳の妹もなにかを感じ取っていたようだった。
  親戚のおばちゃんに電話をかけ、 「ママが死んだ…」と伝えた瞬間、涙があふれてきて止めることができなくなった。


須美子だけが気づいていた。
人間がとうの昔に無くしてしまった不思議な能力。
それを未だ持ち続けていた須美子は母の死期を感じ取り、警戒信号を発していたのだ。


いつもと変わらずひなたぼっこをする須美子…。

1999.4

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